危険なレベルの地球温暖化を防ぐには、化石燃料の使用をすぐにやめる必要があるが、それは事実上不可能だ。ゆえに科学者たちは、大気中の炭素を集めて固定する技術も必要だという。
その最たる手段の1つが植物だ。植物は光合成によって毎年数百億トンもの二酸化炭素(CO2)を大気中から除去している。そうした炭素の約半分は植物の根や土壌に貯留され、数百年から数千年にわたって地中にとどまることになる。
では、植物や土壌がもっと炭素を除去するようにできるとしたらどうだろう? CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)というゲノム編集技術が、それを可能にするかもしれない。この技術は、生命の設計図であるDNAを迅速かつ正確に編集する、画期的な分子生物学ツールだ。
CRISPR-Cas9の開発者であるジェニファー・ダウドナ氏が設立した米イノベーティブ・ゲノミクス研究所(IGI)は2022年6月、このアイデアを本格的に探りはじめた。IGIの植物遺伝学者、土壌科学者、微生物生態学者からなるチームは、慈善団体チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブから1100万ドル(約15億円)の寄付を受け、新しい作物品種を生み出す3年間のプロジェクトに乗り出した。
彼らの目標は、CRISPRを用いたゲノム編集で、光合成の効率や土壌中に送り込む炭素の量を高める植物をつくることだ。そうしてゲノム編集されたイネやモロコシ(ソルガム)を世界中に植えれば、大気中から年間10億トン以上のCO2を除去することが期待できるという。その取り組みを一つひとつ紹介する。
光合成の効率を高める
植物は、光合成によって大気中のCO2を有機物に変えて取り込んでいる。だが、光合成の効率はもっと上げる余地があると、米カリフォルニア大学バークレー校の植物生物学者でIGIの研究チームのメンバーであるデビッド・サベージ氏は説明する。例えば、日差しが強いと、植物は水や養分が不足しないように光の利用を抑えてしまう。しかし、人間が水と肥料を十分に与えるなら、光合成を抑える必要はないはずだ。
研究者たちは何年も前から、細菌や他の植物の遺伝子を導入するという従来の遺伝子工学の手法で、光合成の効率を高めようとしてきた。しかし、CRISPRによるゲノム編集は違う。外来のDNAを一切導入せずに、その植物自身のゲノムを分子のハサミで迅速かつ正確に切り貼りするのだ。サベージ氏は、「これまで不可能だった(光合成の)反応経路の最適化が可能になるのです」と話す。
サベージ氏のチームはまず、イネの細胞にCRISPRを用いて数百万の小さな遺伝子編集を施す予定だ。その後、光合成の主要な段階の効率を高めるような変異をもつ細胞を探し、最終的には、最も有望そうな細胞株を選び出してイネを育て、ゲノム編集の効果を確認する。
サベージ氏は、有益な遺伝子編集を何度も重ねることで、光合成の効率、つまりイネが組織内に取り込む炭素の量を30%以上増やせると見積もっている。
深く根をはるようにする
米カリフォルニア大学デービス校の作物遺伝学者パメラ・ロナルド氏の研究チームは、IGIにある3200種類のイネの変異株の中から、長い根で土壌深くまで炭素を送り込めたり、根の分泌物が土壌の微生物の増やしたりといった、農地の炭素貯留量を増やす特徴を持つ系統を探そうとしている。興味深い特徴をもつイネを特定したら、ゲノム編集技術を用いて、それらを最適化するつもりだ。
とはいえ、温室や研究室で有望な結果が得られても、環境のゆらぎが大きい屋外の農場では、ほとんどが期待どおりの特徴を示さない。研究者にできるのは、できるだけ多くの候補を見つけることだけだ。
土壌で起きていることを知る
植物が土壌中に送り込んだ炭素は、微生物や菌類の複雑なコミュニティーによって分解され、多種多様な化合物に変換される。炭素の一部は微生物の餌となり、代謝されて再び大気中にCO2として放出されてしまう。
しかし、残りの炭素は、その化学的性質や、団粒と呼ばれる大きな土壌粒子の中にあること、鉱物の表面に付着しやすいことなどから、簡単には分解されない。これらの分子は安定した「土壌炭素プール」を形成し、数十年以上持続する可能性がある。
このように物理的、化学的、生物学的な多様性のある土壌から安定した炭素プールが形成されるしくみは、まだ完全には解明されていない。
米カリフォルニア大学バークレー校の微生物生態学者ジル・バンフィールド氏らは、ゲノム配列解析ツールを用いて、ゲノム編集作物の周囲の土壌にいる微生物と、それらの炭素循環に関わる形質を調べたいと考えている。氏の研究の主な目的は、土壌中で起きていることについて基礎的な知識を得て、植物のゲノム編集がそれをどのように変えるかを明らかにすることにあるが、将来的には、土壌微生物を直接操作することも考えているという。
炭素原子を数える
土壌微生物の研究が進められる中、米ローレンス・リバモア国立研究所の土壌科学者ジェニファー・ペットリッジ氏らは、重要な任務を担っている。土壌に移行した炭素原子を数えることで、今回の研究構想が全体として機能するかどうかを確認しているのだ。
氏らの研究チームは、ゲノム編集作物を特殊な生育室に入れ、炭素13(自然界に1%しか存在しない重い炭素原子)を含むCO2を与えることによって、植物がどれだけの量の炭素を取り込み、その炭素が最終的にどこに行き着くのかを厳密に調べている。
「植物の葉や根や分泌物、微生物の細胞やDNAまで、それぞれの炭素プールにある炭素13を見ることができます」とペットリッジ氏は言う。「そして、どれだけの量の炭素が炭素プールに追加され、そこにとどまるかを正確に測れるのです」
米コロラド州立大学土壌炭素ソリューションセンターのジェーン・ゼリコバ所長は、「多くの人が土壌に貯留される炭素の量を増やす方法を提案していますが、土壌炭素が本当に増えるのか、どれだけ長くそこにとどまっているのかを示す証拠はありません」と指摘し、ペットリッジ氏の炭素計測技術は非常に重要であるという。なお、ゼリコバ氏はIGIの研究には関わっていない。
研究室から畑へ、農家にも付加価値を
IGIの研究者たちは、土壌への炭素貯留を促進するゲノム編集イネをつくり出すことに成功したら、次はアフリカや南アジアの主食作物であるソルガムにも同様のゲノム編集を行いたいと考えている。そして、10年以内にゲノム編集されたイネとソルガムの種子を農家に提供し、国際的な野外試験を始めたい考えだ。野心的なスケジュールだが、ゼリコバ氏は「問題の緊急性と規模を考えれば、妥当だと思います」と話す。
IGIの広報部長メリンダ・クレイグマン氏は、炭素貯留を促進するだけでなく、作物の収量や土壌の豊かさを向上させるなどの付加価値ももたらす種子を提供できれば理想的だと語る。「炭素貯留だけでは、このプログラムは成功しないと思います。農家にとって何らかの付加価値が必要です」
CRISPRを用いたゲノム編集という新しい技術で改変された作物に対して、警戒心を抱く農家もいるだろう。クレイグマン氏は、生物の改変過程について透明性を確保することの重要性と、ゲノム編集作物を望まない人々には拒否する選択肢を用意することが大切だと強調する。それでも、気候変動を闘い、温暖化した世界で生き残るために、ゲノム編集作物を育てたいというコミュニティーは多いのではないかと氏は考えている。
ナショナルジオグラフィック