欧米が「水素」にかじを切るなか、「アンモニア活用」にこだわる日本の視線の先にあるものは何か。
◇三つの課題を解決して人類の進歩に貢献を
ロシアのウクライナ侵攻は、2020年後半から始まった資源の価格高騰に象徴される世界的なエネルギー危機に拍車をかけた。この危機が日本にもたらした最大の教訓は、「エネルギー自給率を上昇させる必要」があり、そのためには「国産エネルギーの普及・拡大を急がなければならない」ということである。
国産エネルギーの代表格は、太陽光・風力・水力・地熱などの再生可能エネルギーだ。ウクライナ危機で化石燃料の重要性が再認識され「脱炭素の流れは後退する」という見方があるが、間違っている。拍車がかかったエネルギー危機を根本的に克服するには、“最強の国産エネルギー”である再エネの普及を進め、脱炭素の流れをむしろ加速しなければならない。
ただし、日本では、これまでの取り組みが遅れたことが響いて、再エネの普及には時間がかかる。移行期間は原子力発電や火力発電を使うことになるが、問題として、①原子力発電は需給逼迫(ひっぱく)に対して即効性がない、②事故やトラブルですべてが運転停止するなどの不安定性がある、③使用済み核燃料の処理が未解決のまま──などが挙がる。必然的に火力発電に頼ることになる。当面は資源のなかでも天然ガスの調達が特に困難なため、石炭火力の役割が浮上する。
しかし、その石炭火力には、大量の二酸化炭素(CO₂)を排出する弱点がある。そのため、しばらくは石炭火力に依存するものの、いつかはそれを廃止することを念頭において、どのように廃止するかを明示しなければならない。
石炭火力廃止の方策として有効なのは、燃料である石炭にアンモニアを混ぜ、徐々に混焼比率を高め、最終的にアンモニア専焼火力に転換するという方法だ。アンモニアの化学式はNH₃、C(炭素)を含まないので、燃焼させてもCO₂を排出しないのである。
◇「壁」崩したJERA
20年10月まで、日本には、カーボンニュートラルを実現するうえで「越えることができない壁」があった。脱炭素実現のためには、太陽光や風力を中心とする再エネが主役となることは間違いない。ただし、これらは「おてんとう様任せ」「風任せ」の変動電源でバックアップが必要となる。期待されるのは蓄電池だが、まだコストが高いし、原料となる資源で海外に大きく依存する問題点もある。これが「壁」の正体だった。
日本の場合、欧州や北米とは異なって、国際的な送電網が存在しないことや、水素やCCS(CO₂回収・貯留)の取り組みが遅れていることなどが、この壁をさらに高めていた。
しかし、この壁は、20年10月13日に日本最大の火力発電会社で東京電力と中部電力の合弁発電会社であるJERAが、「50年までに火力発電をカーボンフリー化する」という発表を行ったことで、一気に突き崩されることになった。石炭火力発電の燃料の一部を石炭からアンモニアに転換し、それらを混ぜて燃やし(混焼)、最終的にはアンモニア「専焼」の発電所として燃料を完全に置き換える目標をJERAは打ち出したのだ。
発表から13日後、就任直後だった菅義偉首相は、20年10月26日の所信表明演説で「50年カーボンニュートラル」を宣言した。「カーボンフリー火力」という新しい裏付けを得て、宣言の信ぴょう性は高まった。その日から、日本ではカーボンニュートラルを目指す動きが本格化していく。
◇「G7で唯一」が僥倖に
水素とアンモニアというカーボンフリー火力を支える二つの燃料のうち、水素は欧米諸国でも広くその活用を目指している。一方、アンモニアを燃料として使うことを強く打ち出しているのは、主要先進国の中で日本だけである。
日本は主要7カ国(G7)の中で石炭火力への依存度が高く、その分、真剣に石炭火力のカーボンニュートラル化に取り組まなければならない立場にある。
石炭火力依存度で、ドイツは日本と同水準の高さ(29%)にあるが、一方で、電源構成に占める再エネ(自然エネルギー)の比率は日本の2倍近くに達する。そのドイツは今後、再エネ比率を急速に高めることによって、30年に石炭火力を廃止する方針を示した。
日本はこのような方針を取ることができない。ドイツのようなペースで迅速に再エネ比率を高めることができないからだ。日本で最も伸び代がある再エネの洋上風力は、環境アセスメントの実施、発電機の新設、送電線の敷設などを含めて、8年程度の開発期間を必要とする。したがって、「再エネを増やして石炭火力をなくす」というドイツ式のアプローチだけでは問題が解決しない。
日本で石炭火力のカーボンニュートラル化を実現するためには、再エネの普及だけでなく「追加的な方策」を講じる必要があり、その方策として浮上したのが、石炭火力の燃料としてアンモニアを混焼し、徐々に混焼比率を上げて、やがてアンモニア専焼火力に転換する、という日本式のアプローチなのである。G7の中で日本だけが燃料アンモニアの活用に取り組んでいる理由は、ここにある。
さらに注目すべきは、「災い転じて福となす」という言葉通りの事態が起ころうとしていることである。石炭火力の燃料をアンモニアに転換するという日本式のアプローチが、地球温暖化から世界を救う「切り札」の一つとなろうとしているからだ。
地球全体のカーボンニュートラルの達成にとって主戦場となるのは、石炭火力への依存度が高く、CO₂排出量が多い非OECD(経済協力開発機構)諸国だ。日本が主唱するアンモニア転換による石炭火力のカーボンフリー化という手法は、非OECD諸国の脱炭素実現に大きく貢献しうる。
この日本式の手法は、石炭火力そのものを否定的に捉える欧州式の発想からは生まれない。非OECD諸国にとって、「石炭火力をやめろ」という欧州式の主張を受け入れていては、国として「立つ瀬」がなくなってしまう。
この点、既存の石炭火力発電設備を使い続けつつ、燃料をアンモニア転換することでカーボンニュートラルを実現しようとする日本のアプローチは、非OECD諸国の受け入れも十分に可能だ。日本発の燃料アンモニアは、世界に通用する実効性の高いカーボンニュートラルへの移行戦略である。
◇三つの課題の先
とはいえ、日本で燃料アンモニアを本格的に社会実装するには、「三つの課題」がある。
第一は、燃料アンモニアをカーボンフリーな形で大量調達することである。第二は、燃料アンモニアのコストをLNG(液化天然ガス)並みにまで引き下げることである。そして第三は、エネルギー多消費型に代わる新しいアンモニア合成法を開発することや、大気汚染の原因となるNOx(窒素酸化物)の発生を抑制することなどの、技術革新を実現することである。現在もアンモニア製造プロセスの主流であるハーバーボッシュ法は、第一次世界大戦以前にドイツで開発された古い製造法であるし、NOxは、光化学スモッグの原因となる。
第一の課題に関しては、JERAと出光興産が世界最大のアンモニアメーカーであるノルウェーのヤラ社との協業を模索。三井物産はアラブ首長国連邦のアブダビ国営石油のクリーンアンモニア生産プロジェクトに参画している。
第二の課題については、日本政府が、22年5月に発表した「クリーンエネルギー戦略」のなかで燃料アンモニアの普及を最重点施策に掲げ、コスト削減への政策的支援を明言している。
第三の課題のうちアンモニア合成法の革新では、東京工業大学などで進む新触媒の開発や三菱ケミカルグループが取り組む「ゼオライト膜」の利用などが注目される。これらの新技術は従来のアンモニア製造法「ハーバーボッシュ法」の高温・高圧という欠点を緩和し、生産効率を高めるという。
NOxの抑制については、燃焼気体中でアンモニアを若干余剰となるように設定することが有効である、との知見が得られている。アンモニアが、燃料としてだけでなく、燃焼で生成するNOxの還元剤としても機能するのである。
三つの課題をクリアすることは容易ではないが、達成できれば、石炭火力への依存度が高い東南アジア諸国をはじめとする非OECD諸国にも福音となる。その国々も、やがては、石炭火力をアンモニア火力に転換し、カーボンニュートラルへ向かっていかなければならない。そのプロセスでは、燃料アンモニアの活用に関する日本の知見が大いに役立つ。日本企業にとっては、プラントやプロセス技術の輸出という、新しい国際ビジネスの展開が可能になる。
* * *
かつて日本はLNGという新しいエネルギーの選択肢を提供した。1969年、パイプラインで輸送するしかなかった天然ガスを冷凍、液化し、専用船で海外から輸入し都市ガスや発電燃料に使う地球規模のイノベーションを起こし、LNGチェーンを作り上げた。その時と同様に今回も、燃料アンモニアチェーンという新機軸を打ち出すことで人類の進歩に貢献しようとしている。
毎日新聞